大正12年(1923年)7月1日に創業した藤田組は、
今年で創業90周年を迎えることとなりました。
これも多くのお客様のご支援によるものと深くお礼申しあげます。
今回は創業時(大正12年)はどんな時代だったのか、
当時に思いを馳せてみたいと思います。
まず当時の総理大臣は誰だったでしょう?
答えは「海軍大臣・加藤友三郎」です。
この時期は(日本史の教科書にも書いてあった)
「ワシントン海軍軍縮条約」が締結され、
日本は主力艦艇14隻を廃止しています。
ところで、加藤総理は8月24日に急逝して、
関東大震災が発生した9月1日は、
実は総理大臣は不在(外務大臣の内田康哉が内閣総理大臣臨時代理)だったようです。
きっと内閣は大騒ぎになっていたことでしょう。
ということで、震災の翌日の9月2日に(9年前にも総理大臣をしていた)
山本權兵衞が再び総理大臣に就任しています。
7月1日に会社を創業してからちょうど2か月目に関東大震災が発生。
まだ会社の基礎も出来ていない時代ですから、
さぞや大変なことだったと思います。
さて、この時藤田組は無事だったのでしょうか?
(無事だったから今日があるわけですが)
藤田組は当初、郵船ビルに事務所があったようです。
郵船ビル(今の郵船ビルは昭和53年築)は今でも丸の内にありますが、
当時の郵船ビルは大正12年に竣工された当時では最新鋭のビルで、
関東大震災でもその損害は軽微だったようです。
藤田組は最初からリスク判断は実に的確だった(?)ということでしょうか。
ところで、現在の藤田組は、
地下鉄銀座線「三越前駅」から徒歩2分のところにありますが、
では銀座線は当時(大正12年)に開通していたでしょうか?
銀座線は昭和2年(1927年)に浅草~上野間が開通し、
三越前駅の開業は銀座線開通から遅れること5年、昭和7年(1932年)です。
ということは藤田組が創業した時には未だ銀座線も走っておらず、
まして三越前の駅も無かったということですね。
私いろいろ調べていきますと大正12年当時、
東京都内には未だ十分に電車も走っておらず、
ビルディングも未だいくつかしか建っていないようなかったようです。
この時代に「保険」を生業とした会社を創業した先駆性には驚かされます。
藤田組はこれからもこの先駆性に学び、
創業100年を目指して前向きに活動を続けていきたいと思います。
<藤田 徹>